echo of sea




 まるで燃えているような、真っ赤な夕日。
 その夕日を反射して、赤く揺らめく深い海。
 わたしは、きっとそこで生まれたのだろうと思った。
 そして今、わたしはその海で死んでいくの。

 わたしの体は、ゆらゆらと漂いながら、でも確かに海の底へと沈んでいた。
 海へと入ってから、どれくらいの時間が経ったのだろう。
 感覚は麻痺して、けれど意識は鮮明だった。
 視界に映る色は、深い蒼の色。
 もう光すらも届かない深さにいるはずなのに……
 わたしの頭の中には、あの赤い海が焼きついていた。
 体と同じように思考もゆらゆらとしていて、とりとめのないことを考えていた。
 たとえば。
 最初、海の上の方では、必死にもがいてもがいて、とても苦しかったのに。
 今はどうだろう。静かで、緩やかで、心地よささえ感じてしまうほど。
 なあんだ、底まで沈んでしまえば、楽じゃないか。
 大きな泡を吐きながら暴れていた自分が、酷く滑稽に思えた。
 一生も同じようなものなのかな。
 ふっと、一瞬そんなことを考えた。
 それは頭の片隅で、泡みたいにはじけて消えた。
 何度も何度も、同じようなことを考えて、いったりきたりの思考が辿り着いたのは。
 この海に入る前のことだった――

 その日、わたしはあの人と会う約束をしていた。
 指定の場所で、待ち合わせをして。あの人が来て、わたしはとても喜んでいた。
 それなのに、あの人はわたしをタクシーに乗せた。行き先は、最寄の駅だった。
 どうして。
 わたしの頭の中は、そのことで埋め尽くされていた。
 これから、買い物をしたり、食事をしたり、語り合ったり。
 そういうことをするはずなのに、どうしてわたしを帰そうとするのだろうと。
 だから、感情のままに、あの人にわたしは尋ねたのを覚えている。
 どうしてなの? と。
 あの人は、小さな声でたった一言だけ喋ってくれた。
 もう、終わりにしようと。
 その声は、小さいけれども、揺らがないであろう意思を持っていて。
 何をいっても、わたし達は終わってしまうのだなと思った。
 その後に、理由が知りたい、と思った。
 あの人が結婚しているのは知っていたけれど。
 それが原因なのかどうかも、わからないままなんて。
 もやもやしてとても嫌だった。
 だから、あの人に必死にすがりついたのだけれど、何も言ってくれなかった。
 それが悲しくて寂しくて、わたしはタクシーを止めて、下りた。
 家に帰りたくもなかったから、適当なホテルを探して泊まった。
 その後、一人でひとしきり泣いた。涙が枯れてしまうかと思うほど。
 泣くだけ泣いたら、何故かすっきりしていた。
 あの人のことはもう忘れよう。そう思っていたはずなのに。
 知らない街を、一人で彷徨い歩いて。
 新しい洋服や、靴、化粧品。
 色々な物を買っては、妙に弾んだ気持ちでいた。

 沈み始めた頃は、どうして自殺したのかわからなかった。

 ひとしきり買い物をして、何処へ行こうかと考えながら、わたしは歩いていた。
 そうしたら、潮の香りがどこからが漂ってきて。
 自然と足は、その香りの方へと向かっていた。
 気が付いたら砂浜にいて、目の前には赤い海があった。
 そしてわたしはサンダルのまま、ふらふらと誘われるように海へと入った。

 今なら、どうして海へ入ったのかわかるような気がする。
 誰かに、呼ばれていたのかもしれない。
 わたしみたいに、海へと消えていった見知らぬ誰か。
 その人達の声が、木霊みたいに響くから、誘われてしまったの。
 変なことを考えてるな……と思って、わたしはたぶん笑った。
 声は出ないから、口の形を歪めてみただけだけれど。
 少しだけ、落ちる速度が速くなったような気がした。
 周りの景色は変わらないから、確かめようがないのだけれど。
 ぼんやりと、終わりが近いのかなぁ、と思って。
 無意味だと知りながら、胸の内を吐き出してみた。
 もっと生きたいとか、死にたくない、とかそういうことじゃなくて。
 お店の美味しいケーキが食べたいな、とか、もっとオシャレしたかったな、とか。
 もっと、色んな恋愛がしたかったなとか。
 どれも、みんな同じようなことに思えた。
 言葉にも音にもならない想いは、小さな泡になった。
 だんだんと意識が朦朧としてきて……
 わたしは、わたしでなくなるんだな――と思った。
 怖くはない。悲しくもない。ただ、淋しかった。
 ゆらゆらと浮かんでいった泡は、やがて木霊になるのだろう。
 そうして、わたしもまた、淋しい誰かを誘うのだろう。
 木霊の海に抱かれながら、わたしは静かに溶けていった。




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